放課後のプレアデス「宇宙のミルフィーユ 可能性と魔法のソース SFを添えて」


TVアニメ『放課後のプレアデス』PV第1弾 - YouTube

放課後のプレアデスTV版、無事に最終話まで放映されまして、感想を書き始めて2ヶ月たってしまいました。

恒星のように輝く可能性、瞬くように去来する懐かしい思い出と少しの戸惑い、丁寧に念入りに素敵な魔法にかけられたようです。

このお話が繰り返しかけてくれた魔法を、ひとつひとつ噛みしめて、少しばかりのSFといっしょにふれていきたいと思います。

子どものころに見た光景

幼いころのすばるたちは、今も心に引っかかって一歩を踏み出すことを躊躇させるような出来事を経験しています。

そしてまた、エンジンのかけらが降り注ぐ流星雨を見ています。

それは、一歩を踏み出せないからこそ、未確定の可能性があるから見えたのでしょう。

まだ何でもないということは、何でもなれる可能性があること。

つまり、観測前の状態の重ね合わせは、どちらの可能性もあるし、選ばれなかった世界も存在する、ということです!

えぇ、私もわかりません。ですから、順を追って世界の謎を見ていきましょう。

未来の可能性と多世界解釈

シュレーディンガーの猫という思考実験を知っていますか? 「量子力学」で「波動関数」が「収縮」することについての思考実験です。まだまださっぱりわかりませんね。

これは、会長の言っている「何者でもないものが広い可能性を持っている」ということに繋がっています。

要約すると次の通りです。 電子は重さや負の電荷を持っています。また、スピン自由度というものも持っています。 このスピンは上向き・下向きのスピンという2つの状態があります。 そして、電子はこの2つの状態を同時に持つことができます。 この電子の状態はいったい上下どちらのスピン状態かわかりません。観測するまでは。 観測すると重ねあった状態がどちらかひとつに確定します。

ここで会長が、第3話「5人のシンデレラ」で言っていたことを思い出してみましょう。

(冒頭にて)

僕が協力者として君たちを選んだのは、君たちが可能性の塊だからだ。 君たちは、様々な可能性が重なり合ったまま、まだ何者にも確定していないどっちつかずの存在だ。

(終わりに)

現実の君たちが何者でも無ければ無いほど、僕はその可能性を君たちの力に変える。

まだ確定(観測)していない状態は、どちらの可能性もある状態。 今を確定すれば未来は決まる。 すばるたちは、まだ何者でもないから、未来はまだ決まっていない。可能性に満ちあふれている。 未来を決めると言うことは、今を確定させることだ。 「未完成は可能性」ということなのです。

量子力学は非常に小さい粒子を扱う学問の領域なので、人間サイズに直接当てはめるのものではないです。 そして、人間の決断や意志というものとは関係ないように見えます。 おもしろいことに、観測することによって状態が収束して確定するという現象は人間が観測することが欠かせません。 観測して認識することができるのは人間(を含む知的生命体)だけですから。 魔法のような科学と、科学のような魔法、この作品のSFでファンタジーという形が現れていますよね。

さて、2つの可能性が同時にあって観測して1つに確定したというとき、もうひとつの可能性はどうなったのでしょう。 もうひとつの可能性が観測された世界が存在する、それが多世界解釈です。 すばるたちが集めていたエンジンのかけらは、可能性によって分岐した世界を部分的に選び代えるものなのでしょう。

参考

www.kyoto-su.ac.jp

魔法とSF

光速を超える情報の伝播は存在しないし、もちろん、物体も光速を超えて移動しない。

だから光が届いて星の終わりを告げるより早く、その姿を目の当たりにしたり、半年後に起こるそれを記憶したままに半年経つ前の世界に戻ってくることは、因果律の破れであり、一種のタイムトラベルです。

SFを突き詰めた先に、あり得るはずのない優しい世界を見せてくれる、優しさは魔法です。

全員で半年後にななこの居た位置に旅していたという世界を選び、同時にだれも旅していない世界も選ぶ、だれも思い出を失わない世界、これがエンジンのかけらが見せてくれた魔法なんです。

こうやってSF要素を読み説いていくと、作品のテーマや構造を読みとっていくことにもなったようです。 魔法もSFも丁寧に世界と物語に繋がっています。

繰り返しはミルフィー

最終話では、すばるたちが選んだ世界で、再び物語がはじまります。 同じことの繰り返しのようで、自分たちが選んで一歩を踏み出した世界です。 それは今までのストーリーで、それぞれがそれぞれの悩みを持ち、繰り返すように彼女たちの思いや決意が語られたのと同じです。

新しい物語がどのように進んでいくかは、私やあなたや彼女たちそれぞれ次第でしょう。もしかしたら、ある一瞬は、いつかの放課後に集まったすばるたちの思い出と一緒かもしれません。 わたしよわたしになれと、彼女たちが彼女たち自身らしくあることで、未来を自分で選びとる。それが同じように暖かい世界を形作りもし、見えなかった世界を照らしもするでしょう。

彼女たちの踏み出す未来への一歩を、星が見守り導いてくれますように。

宣伝をかねて、OPとED

本編を見て、いちいちOPやEDの歌詞のつくりに感動していました。むしろ、最大のネタバレ要素といえます。それほどまでに作品に寄り添っていると、話数を進めるたびに思いました。

鹿乃/「Stella-rium」<初回限定盤> CD+DVD (2枚組) TVアニメ「放課後のプレアデス」オープニングテーマ

何にもないなら何にでもなれるはず

というのは、可能性のはなしそのものです。

fragments(高森奈津美、大橋歩夕、立野香菜子、牧野由依、藤田咲) /「ここから、かなたから」 TVアニメ「放課後のプレアデス」エンディングテーマ

お話しに合わせて1番、2番を変えるアニメは、演出に丁寧さを感じて好きです。

贅沢な自由をもてあます

という言葉には3話の会長の言葉

生まれ落ちた瞬間から、何の可能性も選択肢も持たない者もたくさんいる。

そして、みなとくんの話ともかぶってきますね。

さあ帰ろう、巡り合うために、またいつか

中学生

昔話で自分語りの話です。

すばるたち、そしてみなとくんは中学生です。

みんなと同年代の人に見てもらえたら良かったな、ってそれだけが少し心残りです。

児童書としてのシリーズ展開*1があるようなので、今後の展開も少しは期待していいのかな?

むかし、電プレの奴でエターニアのメルディ&キールが「中学生恋愛」って言われてて、このシチュエーション基本的に大好物なんです。

すばるは「肉食系」なので、ちょっと色が違うんですけど、ずっときゅんきゅんしてました。

趣味嗜好としてはインパクトが無いか市場が小さいのか、あんまり見つけられてないので、プレアデスでしばらく戦えますね。